男女共同参画社会

明治期に、文学にめざめた女性の生き方

樋口一葉、与謝野晶子を例として(作品の朗読あり)

男女共同参画社会と笑いのおもしろ関係

戦国時代の女性は宣教師が驚くほど自由でした。それが幕藩体制が強化されるにつれて、武家社会では女性をしめつけるようになり、同時に「笑う」という行為も武家社会から追放されはじめました。それでも庶民は女性も自由に、そして庶民は多いに笑っていました。
ところが明治の富国強兵策が全国に及ぶと、庶民にも、女性のしめつけ笑うことが下品という思想が広がり始めました。今も大災害が起きると放送からしめ出されるのは「お笑い番組」です。
「男女共同参画社会と笑い」のおもしろ関係を90分に渡って講談師らしく戦国女性のエピソードをまじえながらおはなしします。

女性差別と女人禁制

大峰山の女人禁制も、役小角に従って大峰をかけめぐっていた前鬼後鬼は夫婦です、
夫婦だからこそ子孫の方もいるのです。
少なくとも前鬼後鬼は、夫婦の鬼と伝えられています。
女人禁制を破っていたのは、他ならぬ役小角であったのです。

金峰山山頂から出土した子守三所権現鏡像が、東京国立博物館に所蔵されています。これは女神です、幼児育産の神です、水分神が御子守になったと言われていますが、女神を彫り込んだ鏡、それも幼児育産の神の像です。
それが金峰山、すなわち大峰山の山頂から出土しているのです。
大いに子育ての為母となった人は大峰にお参りするべきでしょう。

和泉式部は熊野参詣の時、もう少しで本宮に至る地点、すなわち伏拝王子の地点で月の障りとなり
「晴れやらぬ 身のうき雲のたなびきて 月の障りとなるぞ 悲しき」
と詠み、悲しみにふけりました、その夜 熊野の神が夢枕に姿をあらわし
「もとよりも 塵にまじわる神なれば 月の障も なにか苦しき」
血のけがれなんか気にしなくともよい、私自身世間のチリにまじわって汚れている神なのですよ。
と詠んで、和泉式部を参詣へ導きました。
もちろん和泉式部が熊野詣をしたという史実は確認出来ません。
和泉式部の名をかりて、熊野の神々は、女性の障なんか気にしませんよと、熊野比丘尼達が呼びかけたという事が真実の姿でしょう。
熊野の神々と大峰の神々は、どこで区別するのでしょうか?

2月堂でのお水取りでも、内陣見学は男のみです、差別はどこまでいっても理不尽です。
この様に全国各地にまつわる差別問題を御希望にそってお話しします。