歌舞伎でも落語でも同じですが、一般的には、剛の江戸柔の上方と表現されています。それは、武士の町であった江戸と、町人の町であった上方との、気質の差に由来すると言われています。話芸にあっては、江戸は省略の芸、上方は冗舌の芸と思ってください。
江戸の講談は、武士の町ですから当然、軍談から発達してきました。従って口調も武張った、少しかたい口調です。笑わせる事より、きっちりとストーリーを伝える事に、主眼が置かれています。その中で人物や情景を、巧みに演者が表現していきます。
一方、上方講談は、これでもか、これでもかと、説明を加えて笑わせなければ、お客さんは納得してくれません。町人を相手に、おもしろおかしく、そして分かりやすく説明しながらストーリーを運んだ、浄土系の説教話芸の影響も見逃せません。
さらに上方講談には、軍談の流れだけでなく、心学講釈という心のありようを教えた講釈、又、神道講釈という「安倍晴明伝」「天満天神記」等、神の霊験の有難さを話す講釈があります。江戸のような武士から講釈師になったのではなく、僧侶、神官、学者、商人と出身がまちまちであったことも、柔らかい町人口調となった原因でしょう。