釈台、張扇、拍子木は天保時代、江戸の講釈師初代典山が、この形を整えたとされる。
今は東京では、和紙(西の内)で張った張り扇と普通の扇子を使う。拍子木はつかわなくなったが、明治の半ばまでは扇子、張扇、拍子木の三点セットが東京でも通例だったことが邑井貞吉の思い出話にある。
上方にあっては、特に修羅場読みの時に、左手に拍子木、右手に皮の張り扇を使って釈台を叩くという旧来の形が残っている。
拍子木は上方にあっては、小拍子と称し仏具屋で商っている長さ15cm前後、巾1cm程度の拍子木の事。これを一つだけ用いる。上方落語にあっては、少し小さめの物を二つ合わせて使用する。
歌舞伎の影響とする説があるが、僧侶の説教話芸の影響として、仏具の拍子木が入って来たと解釈するほうが自然であろう。