秋の独演会のご案内

 皆様、お元気でいらしゃいますか? まだまだコロナが心配で、独演会のご案内できる時期でも、心情でもないのですが、準備をしております。   日程は大阪が11月3日、東京が11月23日ですので、頭の片隅に入れて置いてくださいましたら、うれしく思います。

チケットのお申込みは、上にあります「チケット予約」からお願いいたします。 南照

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緊急事態宣言で 「できる寄席」と「できない寄席」

みなさまお元気ですか。7月31日に大阪は玉出にあります「壽光寺」さんの「じゅげむホール」で、講談会をしていただきました。主催者は、左写真の赤黒の竹のお着物の花岡さんが立ち上げた「花福座」です。古典芸能(話芸)を守って楽しんで行こうという取り組みです。共通の友人からの紹介で、「ミチコ先生とマーマーレードと対馬丸」をぜひ聞きたいということで、もう一席は「応挙と幽霊の太夫」をしました。写真の右端はご住職、お着物姿は義太夫の野澤松也先生ご夫妻、お越しくださいました。講談はじめてのお客様も多く、心温かい講談会となりました。
8月2日から緊急事態宣言が出て、出来なくなった寄席が二つあります。8日の「みなみ屋」と20日の「一門会」です。

出来る寄席は、9日に出演させて頂く千鳥亭の「月曜お昼寄席」と、22日の堺の開口神社での「おたび寄席」です。ぜひぜひお越しください。

また、8月28日には大津市民会館小ホールでの寄席があります。どこかでお目にかかれると嬉しいですが、今は無理をされませんように。コロナに気をつけて乗り切り、マスク無しで笑顔でお会いできる日が早く来ることを願っています。

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7月 しみじみと師匠を想います

皆様、お元気ですか。早いもので、7月がやってきます。いつも「こんな時、師匠なら・・・」と師匠のことは頭にあるのですが、7月はお客様と共に師匠を偲びたいと思っています。7月11日のみなみ屋ライブ、7月16日の一門会、7月25日のおたび寄席にお運びくださいませ。

まだまだ、コロナの状況が今後どうなるかわかりませんが、12月までのスケジュールを出しました。その時その時、やれることをやってまいりますので、よろしくお願いいたします。南照

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残念ながら・・・5月5日のいくたまさんは延期です

久しぶりの投稿で、いくたま神社さんでの講談会をお伝えしたばかりですが、5月5日日の講談会は延期(日程未定)になりました。

開催できる日がきましたら、ご案内させていただきます。コロナがここまで猛威を振るうとは。皆様のご健康を願うばかりです。

4月17日に、私の所属する「万葉集を勉強する会」の方々と一緒に、昨年「真・五代友厚伝」を出版された、会の講師の八木孝昌先生の傘寿をお祝いする会を開きました。

私は、先生がお作りになった講談「大阪の恩人」と「開拓使官有物払い下げ事件」を読ませていただき、大変勉強させていただきました。この講談は、兄弟会でもしていました。これからも大事に読ませていただこうと思っています。 南照

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もう5月5日がやって来る 師匠の命日もやって来る

ご無沙汰しております。元気に活動しています。コロナ禍ですが、毎月の一門会、兄弟会、みなみ屋、月一回出演の「月曜昼寄席」と仕事のペースは変わりません。お客様や関係者が感染しないことを願い、しっかりマスクをして行動しています。

講談塾も順調で、1月11日の発表会には25人の塾生さんが出演されました。兵庫県三木に、月一回出張講談教室に2月から行っています。吹田の「大阪シティアカデミー」や、梅田の「産経学園」でも講談教室を担当しています。3月10日の江戸深川資料館であった伝承の会も、思いっきり勉強させていただきました。

FM千里の収録も毎回楽しくやっています。土曜日の13時から30分間、講談の話や思い出話をしてますので、聞いてください。師匠としていた番組なので、師匠がいないことが未だに不思議です。

コロナのため昨年中止だった5月5日の「生國魂神社講談会」の準備や、7月から再開を予定している堺の「御旅寄席」の準備や、「桃園寄席」の準備など・・・ 師匠の命日が7月30日だから、それぞれ師匠を偲ぶ内容になり、その準備に気持ちが晴れません。

人と人との繋がりに、深さを測る物差しがあるなら、きっと深い繋がりやご縁があったに違いありません。「師匠」は元気で当たり前。質問したら返事が返ってきて当たり前。知識も経験も半端ない方だから、何をぶつけても平気で当たり前。難解なところも、情の深いところもひっくるめて師匠と受けとめて、若手が増え、これから一門も実りある時が来るであろうと思っていたのに・・・師匠は亡くなりました。これが人生ですね。

お客様や塾生さんや、いくたまさん・御旅寄席・桃園寄席の世話役さんが、皆さん応援してくださるので、前を向いて頑張らねばと思います。    コロナ禍の中、お運びくださるお客様に気持ちの届く会をしたいと思います。何卒よろしくお願い申し上げます。 南照

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あれから そして 年末年始

久しぶりの投稿です。皆様お元気でいらっしゃいますか。師匠から預かりました「南陵一門講談塾」は順調に継続しています。塾生さんの熱心さ、会場をお借りしている、ちんどん通信社「東西屋」さんの温かいムード、一門後輩の支えなど、有難いかぎりです。

2021年1月11日には発表会を予定しています。このコロナ渦、3グループ入れ替え制で準備していますが、無事できることをねがっています。

12月から再開準備をしていた堺の「御旅寄席」は、何度も話し合った結果、未定延期となりました。再開は、来春か来夏かわかりません。

お正月、元旦の「生國魂神社初詣奉納講談会」と三日の「千鳥亭二周年南陵一門講談会」は実施予定です。万が一中止となる場合は、ご予約の方々には直接お知らせし、大阪講談協会のHPにも掲載いたします。

御予約をお願いいたします。両日、無事できることを願っています。皆様には、十分用心してお過ごしくださいませ。安心して笑顔でお会いできる日が、早く早く来ますように。南照

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独演会は昼も夜も完売しました。繁昌亭に来て下さい!

コロナがまだまだ心配ですが、独演会は昼も夜も完売しました。ひとえに、皆様の「南照の十周年を応援してやろう!」というお気持ちのおかげです。本当にありがとうございます。

ちょっとご連絡が遅かっただけで、来ていただけないお客様には本当に申し訳ありません。来年は大ホールを借りていたします(笑)・・・ちょっと大きすぎます。

10月18日(日)繁昌亭朝席に出していただきます。落語・講談・浪曲・コメディと、大変楽しい会なので是非おこしくださいませ。南照

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10月24日独演会 昼の部チケット完売しました。

おかげさまで、昼の部のチケットは完売しました。夜の部は、まだまだございます。今ご検討中で昼の部希望のお客様、申し訳ありません。夜の部で検討の程よろしくお願いいたします。南照

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今年も独演会を致します。

皆様、お元気ですか。師匠が亡くなってから、ご心配、お気遣いの言葉をたくさん頂きありがとうございます。

例年どおり独演会をさせていただきます。10月24日、文楽劇場小ホール。昼の部13:30開演、夜の部17:30開演です。チケット代金は前売り3000円です。良かったらこのホームページの問い合わせからお申込みください。

今年は、コロナの為に席数が73席と限定されていますので、昼と夜二回 同じ内容で行います。

師匠にトークコーナーで出て頂く予定でした。そこは一人しゃべりをしようと思っています。

よろしくお願いいたします。南照

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師匠、旭堂南陵が嵐のようにいかれました。

私の師匠は、1949年9月4日生まれ、丑年、私よりちょうど10歳年上です。私は2010年に51歳で入門し、今年入門10周年です。「お前は、10年を契機に松月堂を襲名しなさい」と言われ、「コロナが収まるまで待ってください」とお願いして、いろいろな寄席やイベントをコロナ渦でどうすべきかと向き合っている中、師匠の体調に変化があり、2020年7月30日に亡くなりました。嵐のような一月余りでした。

師匠は「講談塾」を何十年とされています。今は、谷町六丁目のちんどん通信「東西屋」さんの土間を借りて、毎週木曜日午後1時からと不定期の日曜日の11時からです。若手の弟子がサポート役に付いています。私はコロナ渦になってからは、家から歩いて行って、塾生さんの終わりにお稽古をしてもらって、お昼ごはんを一緒に食べたりしていました。師匠の独演会がコロナの為に5月27日から7月23日に延期になり、同日の午前から夕方までに塾生さんの発表会もしようと、師匠がお決めになってからは、自分も出演させていただくし、師匠に任せておいてはタイムスケジュールが心配だから、自分が仕切らねばと塾にはなるべく行くようにしました。

しかし、6月14日は行かなかったのです。すると南鈴から「姉さん、師匠が帰り道にしんどいと言われたんです。これは、姉さんに知らせねばと思いまして」とラインがきたんです。健康自慢で、毎月する血液検査の結果を見せては自慢されていましたが、ここ一年程は、軽い糖尿病やと、食事節制をして、毎日1万歩目標に歩いていました。あの師匠が「しんどい」と言ってる、尋常じゃないと南鈴は思ったんでしょう。

6月19日(金)、毎月第三金曜日に千鳥亭で一門会をしています。師匠は身体を二つ折にして、「南照、背中が痛いのは内臓か?」と聞かれました。私は自分の母の経験から「膵臓です」と言おうかと思いましたが、言う気にならず「師匠、背中や腰が痛いのは内臓です。調べてください」と。この日は、いつもながらのええ声で「男の花道」をされ、帰られました。6月22日は、FM千里の収録の日でした。「旭堂南陵のなにわ友あれパート2」私はアシスタントで、師匠の話に頷いている役です。帰りの電車の中で、私の秋の独演会の相談をしました。「10年だから姉さん兄さんにも出て頂いて、若手に立体講談をしてもらおうと思います」と私が言うと、「皆に気を遣うな。独演会は心静かにやるもんや。楽屋にぎょうさん人がいたら落ち着かんやろ」そして、師匠と私のトークコーナーをしようということで、決まりました。

6月25日の朝9時に師匠からラインが入りました。「だいぶ元に戻っていますが、明日胃カメラを飲んで精密検査をします。絶食だし、今日の講談塾は頼みます」初めて、師匠から講談塾を任されました。これ以降師匠は塾に来られることはありませんでした。心配してくださる塾生さん達に病名も言えず「師匠の口から独演会にお話されると思いますから」としか言えませんでした。

「師匠、胃カメラは食道と胃しかわかりません。精密検査できるところを紹介してもらってください」「心臓と肺のレントゲンと心電図には異常なしや。糖尿の薬が残っているかもという診断や」「その他も調べてください。医者は自分の専門にしか目をむけません」「ありがとう」これが、25日夜の私と師匠のラインのやり取りです。

6月28日(日)堺の「御旅寄席」、45年続いている寄席です。「男の花道」をされました。私は出番がありました。師匠と同じ舞台に立てた最後となりました。世話役さんに「南照さん、もう10年か、変われへんなあ」と言われ、「はい。でも師匠はずいぶん変わられました」と私は言ったんです。白髪にされたこともあるし、糖尿病対策でダイエットされていることもあるけど、これが最後の御旅寄席になるとも思わずに。

7月2日(日)の朝、「今日も塾に行ってくれ」と電話があり、「エコー検査の結果、肝臓がんの疑いありや」と電話があったのも、その日の夕方だったと思います。6日に精密検査をすると言われたので、結果を電話してくださいとお願いしました。6日の電話は「膵臓癌や、肝臓に転移あり、もう手術はできない。化学治療のみや」私は聞きなおしました。「治療計画を立てる医者が今日は休みやったから、9日に医者に行って相談する」私はその夜、師匠にセカンドオピニオンについてラインをしました。「もし、セカンドオピニオンを考えられる時がきたら、師匠もお顔が広いと思いますが、私にも医者の友達がいますので言ってください」「ありがとう」

7月9日は、朝に文楽劇場へ23日の「塾生発表会+師匠独演会」の打ち合わせの日でした。私は一人で劇場に行きました。打ち合わせが終わり、代表の方だけに「もしも当日師匠の体調が悪ければ、独演会は中止にするかもしれない」と伝えました。病名を言いませんでしたので、その方は「いやいや、待ちに待った独演会、ぜひやってください」と言われ、私はそれ以上言えなかったんです。その日は午後からが塾でしたが、師匠の治療計画が決まる日でもあり、私は「明日にでもお電話お願いします」とメールしました。夕方師匠から電話があり、「明日、電話はやめよう」と言われるのです。これは何も言いたくないということだと思い、「わかりました。11日に桃園寄席に伺います」「わかった」

7月11日、谷町六町目で年に3回行われている「桃園寄席」に来られた師匠は、二階の楽屋に上がる元気もなく、事務所に座って「膵臓癌でんねん」と世話役の人に話されました。私は師匠の横の椅子に座りました。「この桃園寄席はお前やれ」とメモ用紙にギャラの配分を書いて渡されました。その数字が最初なんのことかわからず、「なんですか?」って聞いたら、「なんでわからんのや」って久しぶりに怒った声を聞きました。私は今まで散々師匠に反論を言ってきましたが、怒られたことはありません。その後「塾もまかした。週に二回は場所代もかさむから、回数は減らしたらええ」「御旅寄席もお前がやれ。もうできるやろ」と。師匠とお会いしたのは、その日が最後です。師匠は、弟子であり息子の南也に付き添われて帰りました。その日の舞台も「男の花道」で、舞台上でお客様に「私はすい臓がんです。これが最後になるかもしれません。今日は皆さんから1万円づつ頂きたいくらいです」と笑わされました。楽屋では「仁勇はいつ死んだんやったかな」「吉朝の最後の舞台は、文楽やったかな」とご出演の落語家さんに聞かれてました。

翌週には、担当している二つの大学に行かれ、後任を推薦して来られたようです。16日の検査では相当悪化していたそうで、その日南也から一門の皆に「内臓機能的に抗ガン治療もできない状態です」と連絡が入りました。師匠の最後の電話は、7月20日、その日も少し怒り口調でした。「病院から出られへんのや。独演会は一門でやれ、俺はズームか電話で出る」すぐに、小南陵姉さんと南也に相談し、21日に劇場に行って相談し、師匠の意向をメールで確かめ、22日に全ての段取りをして、23日朝から、南也の電話と劇場の音響を繋ぎリハーサルをして、本番に臨みました。小南陵姉さんがズームで病室の師匠の様子を弟子が楽屋で見られるようにしてくださいました。「はてなの茶碗」と「太閤の風流」これが今生の別れになると思いますと、言われました。

私の気持ちは、この日で終わりました。死を覚悟する師匠に何も言えませんでした。ただこの23日を成功させるために、ひたすら業務連絡を続けただけです。一週間後の30日、私は南也と西宮の駅で10時に待ち合わせをしました。塾生さんからお見舞いやお手紙を預かっていたので、渡すためです。南也に自宅に帰られた師匠の様子を聞いたら、脱脂綿をぬらして唇から水分を入れてます。朝も訪問看護の方が来てくれました。ときどき「うっ」って言いますと。私は、帰りの電車の中で思いました。「講談のできなくなった師匠は師匠ではない」と。そのころだと思います。10時36分に師匠はなくなりました。

 私は、師匠からたくさん「ありがとう」を言ってもらった珍しい弟子でしたね。その代わり言いたいこともいっぱい言いました。「お前にみたいな煩い弟子は破門じゃ」と。「南照よく言ってくれた。」「姉さん、よく言ってくれました」と周りからはいつも感謝されてましたよ。師匠と言いあうこともできなくなって、今は師匠ならこんな時どうおっしゃるだろうと思う日々です。私は松月堂にはなりたくないです。ゆっくり考えさせてください。今は、師匠に頼まれた業務を推進させて、これまでのようにご報告したいと思っています。   2020年8月16日 南照

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